ジンジニアニッキ!

とあるITベンチャーで、人事だけど開発環境もってた人のニッキ

25歳の誕生日に辛かった自分へ

先日は上司の誕生日だったのだが、娘さんからお手紙をもらってすごい喜んでいる様子がTwitterから伺えてほっこり…と思ったら、なぜか唐突に、自分の一番辛かった誕生日のことを思い出してしまった。そして、それを引きずってテンションが下がっている…。
今回の特別お題が「『選択』と『年齢』」ということで、それに合致してそうなので書いてみようかなって思って書いてます。
書いてみたらポエムになったけど、まあ、そういうお題だし、仕方ない。ブログに書くことで昇華していくぞ!

15歳の私

15歳の時に、法曹界へ行くことに決めた。

当時私の通っていた中学校は実験的な教育を試験的に行う学校で、「総合学習」なるカリキュラムがだいたい3割以上あるような学校だった。
その一環で「ディベート甲子園」という大会に出場することになったのだけど、その時のテーマが「死刑廃止論」だった。

総合学習の時間を使って「死刑廃止論の是非」について書籍を調べたり、フィールドワークにたくさん行った。
地域の弁護士会へアポをとったり、大学の教授に突撃したり、アムネスティーの人に会って話を聞いたりした。
弁護士会へのアポでは会長がわざわざ出てきてくれて、死刑に限らず様々なことを教えてくれた。
大学の教授はとても優しくて、中学生でもわかる言葉で法律について説明してくれた。


日本の死刑論については団藤重光先生の「死刑廃止論」という本が有名なのだが、図書館でこの本を借りてきて、隅々まで読んだ。
書いてあることのほとんどは意味がわからなかったが、「難しい専門書を読んでいる」ということが楽しかった。

「行ってみるといいよ」と言われて行ってみた裁判の傍聴会では、裁判官が「台に上がっていいよ」と裁判官席に座らせてくれた。
すごく眺めがよかったし、この場所で仕事をしている人たちがキラキラして見えた。

その年には「HERO」という大ヒットドラマが放映された。
木村拓哉扮する久利生検事がとにかくかっこよくて、検察官になると決めた。

こうやって色々書いてみるとものすごく安直なのだけど、仕方がない。
なんせ、中学生だったのだ。


25歳までの私

そんないろんなことに夢見ていた10年後の25歳の誕生日、私は法曹界に行くことを諦めて、何もかもうまく行かなくてすっかり落ち込むことになる。

大学選びも「法学部に絶対に行く」と決めて、「他の学部なら合格確率も高くなるから変えてみてはどうか」と進路指導や予備校の先生に勧められても頑なに変えなかったのに。
当時は法科大学院(ロースクール)設立のタイミングあたりで、法学部の人気が高く、偏差値も他の文系学部よりも高かったのです。
どうしても法学部がよくて、法学部以外じゃダメで、浪人までした。

法律を勉強してみて、これが結構楽しかった。
特に楽しかったのは会社法で、会社としてお金を稼ぐビジネスの面を仕組みとしての法律が統治規定しているという構造が面白かった。
会社法の授業を受けていた頃はライブドア事件(いわゆる、ホリエモン事件)が世間を騒がせたことがまだ記憶に新しいくらいの頃で、会社法に規定されている内容をうまいこと活用して会社経営を行っていた実例がすぐそこに会って、それもとても面白かった。

こうやって勉強したりしているうちに、私は「法曹界へ進んで検察官になる」ということよりも、ビジネスそのものに興味を持つことになる。
法律の勉強は、それはそれで楽しかったけれど、非常に困難なロースクールの受験を突破し、その後も必死に勉強し、さらに難関の司法試験を受けるのかと思うと、そのことに対して時間をかけたいと思うほどの情熱はもうなかった。
就職して、自分の手で早くお金を稼げるようになりたかった。


もはや惰性でなんとなく勉強を続けていたのだけど、なかなか「ロースクールには行かない。就職する。」ということ決断することができなかった。
なんせ、10年も法曹界に行きたいと心に決めていたのである。
それ以外の選択を自分がするということが全くイメージできなかった。
諦めるという選択肢は自分にはなかったけど、だからと言ってその他にやりたい仕事もなりたい姿も、何もなかった。
典型的なモラトリアム学生として、自分のキャリアを全く考えられていなかった。
法曹界に夢見る自分」を捨てることができなかったのだ。


25歳の誕生日

紆余曲折あって、ロースクールには進学せず、そのまま留年することになった。
浪人もしているし、ロースクール受験のために留年(休学含む)もしている。

そのことを決めたのは3月も半ばになってからで、当時の就活スケジュールではエントリーシートの受付を締め切っている企業もたくさんあった。
「選考はしません」と言いつつも4月1日になると一斉に内々定が出される。
3月になってから就活を始めた自分には、全く縁のない話だった。

4月の誕生日、25歳になった日、私は何者でもなかった。
なりたかったはずの法曹界には進むことも諦めていて、今とは違って超買い手市場だった就活においては、浪人して留年もしている自分が内定をもらえるとは(その時は)思っていなかった。

誕生日の日、就職活動からのアルバイトから家に帰ってきた私は、そのまま自分の部屋に閉じこもることになる。
紆余曲折あったこともあって、親ともギクシャクしていたのだ。

部屋に入ると、机の上にケーキと手紙と、プレゼントが置いてあった。
手紙には「何か節目のタイミングで渡そうと思っていたけれど、進学もしなかったし、就職もいつできるかわからないので、25歳という誕生日が節目なので渡します。」というような内容が書かれていた。
その後には、私のことを応援していること、就職活動で自分の納得する結果を得られることを願っているというようなことが書かれていた。


あまりにも自分のことが情けなくて、ケーキを食べながら、手紙を読んで泣いた。
法曹界に行きたいとあれだけ思っていたのにそれを初志貫徹することができず、就職したいと言い出したのは自分だったのに就職活動もうまく行っておらず、自分が言い出したことを何も守れずに親に迷惑ばかりかけている、そんな25歳だった。
周囲の同い年の友達はもう就職して立派に働いているというのに。四捨五入したら30歳になるというのに。
そんな感じの感情ばかりが溢れてきて、どうしようもなかった。


散々泣いたらなんとなく吹っ切れて、「なんか包み隠さずに正直にいよう」と思ってそこからいくつか面接を受けた。
就職氷河期じゃなかったっけ?」って思うくらい、いくつも内定がもらえた。
「どんな仕事がしたいですか?」っていう質問に対して「自分は何もできないし、自分に選択権はないんで、できることは何でもやります。会社だし、仕事なんで。」的なことを言う、何というかあまり可愛げのない就活生だったと思う。
そんな私のことを「面白い」と言ってくれる会社がいくつもあったことが不思議だった。
いくつかの企業を検討した結果、面接に出てきた社長が嘘をつかなそうな人だった、「はたらくを楽しもう」の会社に入社することにした。


32歳の今

32歳になった今年の誕生日、私はニートだった。
色々あって前の会社を辞め、この年齢で無職のまま、人生3回目の転職活動中だった。
アラサーだし、ニートだし、独身だし、住宅ローンの返済はあるし、25歳の誕生日よりも詰んでる感じがあるけど、「どうにかなるから大丈夫」の気持ちでいた。


「自分に選択権はないんで」と言って入社した1社目では、たまたまIT業界向けの部署に配属された。
そこで出会ったIT業界とオープンソースの考え方に魅了されて、どっぷりとそっちの世界にハマっていくことになった。
ITというかWebというか、そういう業界に染まっていて、エンジニアコミュニティの運営スタッフをやったり、ジンジニアって名乗ったり、何回か転職したりした。


今回の転職活動も順風満帆とは言えなかったけど、「自分が働きたいと思える会社がなければ独立してフリーランスでも食べて行くことができる」という思いがあったから、自分のキャラクターをつくったり、自分の考えや好きなことを譲る気は全くなかった。
(実際、今の会社でオファーをもらわなかったらフリーランスになるつもりでいた。)


特に何かを「選択してきた」という意識はないけれど、目の前にあることを一つ一つやっていくうちに、今にたどり着いていた。
25歳の時に何者でもなかったように、今も何者でもない。
だけど、若かった25歳の頃の自分よりも、今の自分の方がよっぽど好きだ。


25歳の誕生日に、辛くて情けなくて泣いていた自分に言ってあげたい。
年齢を重ねることは悪くはない。何かを「捨てる」という選択ができるようになる。
そして、目の前のことを一つ一つやっていくと、毎日が全般的に楽しいと。
25歳では想像もつかないだろうけど。





特別お題「『選択』と『年齢』」

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